6月2日ボテフと革命者の日

毎年6月2日の正午、ブルガリア全土でサイレンが鳴る。
サイレンが鳴り始めると、全国民がいかなる作業も手を止めて、直立する。オスマン帝国からの独立に命を懸けた全ての人々、なかんずく革命家フリスト・ボテフへの敬意を捧げるサイレンである。運行中の地下鉄などの例外を除いて、車両も人も一斉に動きを止める。

学校も5月31日で学年が終了したため今年のこの日の正午は、家族みんな家にいた。サイレンが鳴り始めると、私とダンナはしていた作業の手を止め、コンピューターゲームをしているはずの息子に、ゲームを止めて直立するように言おうとした私達は部屋をのぞいて感心したのだった。ちゃんと誰にも言われずに自らゲームを止めて、ちゃんと起立しているではないかいな!

革命家フリスト・ボテフは、母国の独立を自らの目で見る前に倒れたが、ボテフを先頭に数々の有名無名の革命家によって鼓舞されたブルガリア人が、500年の長きにわたったオスマン帝国の支配から独立を勝ち取った(ロシアの援軍を借りて)歴史は、ブルガリア人にとって最も重要な歴史なのだ。(ボテフは1876年6月1日銃弾に倒れ、1878年3月3日にブルガリアはオスマンから解放される)

息子は3年生(9月からは4年生)で、学校の音楽の授業で何度もフリスト・ボテフを謳った「тих бял дунав(静かなる白きドナウの意)」を練習したそうで、ある日この歌を一人で口ずさんでいた。この歌を暗記しなければならないのだとか。ルーマニアに亡命していたボテフが、いよいよ革命の炎を手に同志たちと一緒に船でドナウ川を越えていよいよ母国の独立解放のために帰って来る様子を謳ったものだ。

立ち上がれ民衆よ!というボテフの鼓舞が目に浮かび、この曲を聴く度に、ブルガリアの独立のために命を懸けて戦った人達に思いが馳せられ、魂が揺さぶられるのだ。

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