久しぶりに近所の居住区パヴロヴォを散歩した。
散歩がメインだったわけではなく、実はただお気に入りのケーキ屋さんに行きたかっただけなのだった!食べたかったのはケーキではなく、ここの美味しいクロワッサンと美味しいチョコエクレアだった。徒歩では片道30分ぐらいかかるが、歩くのは好きなので往復1時間ぐらいは全く問題ではない。途中まで一緒に散歩していたダンナと息子は、秘された私のプランを聞くや「じゃ、ここで」と、財布を忘れた私にクロワッサンとチョコエクレアを買うためのお金を、まるでおつかいに行く子供にお駄賃をやるが如く、これまた大通りでたくさん車が信号待ちをしている真横でやってくれたではないか。この国では身長150cmの私は容姿こそオバはんではあるが、顔と頭部(何故なら白髪が見え隠れするため)が見えなければ小学生に思われても仕方がない。悔しいながらも、お金をもらいつつ「父ちゃんありがとう」の吹き出しが私の口から出ている様子を脳裏に思い浮かべてしまった。デリカシーというものはないのか、デリカシーは!私は今でも繊細なニッポン人なんだい!
とにかく2人は私に別れを告げ家路に向かった。
気を取り直し、私は一人いざパヴロヴォへ。息子が通っていた幼稚園がある方角の延長線上に位置するため、かつてはちょこちょこ幼稚園からもう少し足を伸ばしてその地域にも散歩に行っていたが、今は何か用事でもない限りあまり行くことはなくなった。そのまた昔はベビーカーを押してその近辺までよく行ったものだった。私たちが住む地域からトラムで2駅のところなのだが、ここよりももっと落ち着いた雰囲気で、町の景色がとても好きだったのと、美味しいベーカリー(7年ほど前に閉店)があったからである。ここのケーキも菓子パンもとても美味しくて、ベビーカーを押してまで行きたいという衝動にかられるほどだった。か、そこまでしても食べたいという私の単なる食い意地だったのか、それは分からない。閉店したことを知り、それはそれは悲しかった。
いずれにしても、このお気に入りのベーカリーがなくなってからは更に自分でケーキやらパンやらを家で作るようになった。涙の決断というものか。
私がこの日目指したケーキ屋さんは大好きだったあのベーカリーの味に似ていて、この店を発見した時は、それはそれは嬉しかった。息子は幼稚園に通っていた時のことで、4年ほど前のことである。あの時の感動☆ 世界が一瞬明るく見えたものだなあ。お店のおばちゃんとも仲良くなり、幼稚園へ送りに行った後で時々朝のコーヒーとクロワッサンを店内で本を読みながら楽しむという、自分にとってはプチ贅沢なひとときだった。
しかし通い始めた小学校は全く別の方角でだんだん行く回数は減り、コロナの世の中になってからというもの、訪れる回数は極端に減ってしまった。お店へ向かう途中、ふと嫌な予感がした。「果たして、開いてるよね?」
嫌な予感を打ち消すように、何を買おうか妄想しながらやっと店に到着した。そして、嫌な予感は的中したのだった。私の大好きなベーカリーNo2はその店の面影を残しつつも、ワインのお店になっていた。おばちゃんの顔が思い浮かぶ。どうしてもっと早く来なかったんだろう。お店がなくなる前に、せめてもう一度おばちゃんと話をして、美味しいクロワッサンとチョコエクレアが食べたかった。
帰り道は、かつてよく通った道を選んで帰った。今ソフィアは新しいアパートメントの建設ラッシュで、こんだけ建てて誰が住むねん?と独り言ででも出てくるぐらいの有様で、悲しいことにパヴロヴォ地域もその例外ではなかった。昔ながらの趣のある個性的な家々が立ち並んでいた一画にも、建設ラッシュの悪の手は残念ながら迫ってきていた。かつて好きだった趣のある古い何軒かの家は姿を消していて、その代わりに工事のためのフェンスにはモダンなアパートメントの完成予想図が立てかけられていたのだ。
やりきれない気持ちで歩いていると、好きだった家々の中の1軒が無事にまだ存在しているのを発見した。誰も住んでいない空き家だけれどいい雰囲気の建物である。

またいつでも見られると思っていた景色も、また今度会えると思っていた人も、また次回見られるか、また会えるかと言えば必ずしもそうではないのだ。どうしてあの素敵な家々の写真を撮っておかなかったんだろう。あの景色を撮っておかなかったんだろう。ケーキ屋さんも、お店の中も。
往路はクロワッサンとチョコエクレアでウキウキしながら行ったはずの散歩は、悲しくやるせない気持ちでいっぱいの帰り道となってしまった。