思いがけずプロヴディフ

週末、親しい友人の誘いで、思いがけずも急遽プロヴディフへ向かうこととなった!

プロヴディフはソフィアから車で高速道路トラキアで約1時間ちょっとの所にある、ブルガリア第二の都市である。ソフィアからプロヴディフまでの距離は約150キロ。高速道路の制限速度は時速140キロで、大体20キロオーバー即ち160キロ弱までは警察も何も言わない(らしい)。ゆえに時速140キロで走行すると、1時間ほどで行ける距離である。バスで行くとなると2時間ほどかかるのだが。

プロヴディフは個人的にとても好きな所で、町の中心は旧市街と新市街に分かれている。新市街の中にも、目抜き通りにローマ時代の遺跡が見られたり、旧市街へ行けばこれまたローマ時代の円形競技場跡があったり、敷き詰められた石畳にブルガリアの伝統的な家並みが見られる風情のある街である。今回は円形競技場は見なかったが、去年の秋、幼馴染が彼女とブルガリアに遊びに来てくれた際にここを訪れた時はちょうど日本文化月間(毎年秋に、日本の文化を紹介する様々な催しがあるのであります)で、その日の夜にまさにこのコロッセウムで能の舞台が開催されるとのことだった。せっかくなので入場料を払ってコロッセウムの中に入ると、能舞台のリハーサルが行われている最中だった。能という趣のある類にてんで縁のない私も幼馴染も、遠くから能の舞台(というかリハーサル)を眺め、「ほー」と感心した風で足早にその場を去った非国民である。

去年の秋、能の舞台が行われたコロッセウム(リハーサルの模様)

今回はコロッセウムはスキップし、その代わりに友人は、かの有名なアレクサンダー大王の父親であるフィリッポス2世が要塞化した遺跡が残る丘に連れて行ってくれた。
現在のプロヴディフは古くは黄金伝説で有名な古代トラキア人が住んでいた所であるが、紀元前342年-341年に、アレクサンダー大王の父フィリッポス2世に征服されたのをきっかけに「フィリッポポリス」と呼ばれるようになったそうである。やがてこの地はローマ人に支配され、中世には東ローマ帝国の統治下に、さらにその後は長い間オスマン帝国の統治下に置かれることとなる。
さてこの丘へ登ると、ローマ時代の要塞の遺跡から足下にプロヴディフの街全体が見下ろされ、大変綺麗な場所である。

夕方からの散歩であったため、暑くもなく寒くもなくちょうど程よい気温で、気づいたらかれこれ2時間半街中を歩き回っていた。足が疲れてきた息子に「頑張れ!モノポリが待っている。UNOが待っている!」と夜に行われるであろうゲーム大会というエサを目前に吊るし、なんとか完遂して頂いた。

新市街の中に突如として現れるローマ時代の遺跡
オスマン統治の名残、イスラム教のジャミーヤ
伝統的なブルガリア建築の建物が立ち並ぶ

久しぶりに会えたお兄ちゃん(友人家族の息子さん)に、息子は何やら一生懸命話していた。しばらく会っていないうちに驚くほど背が伸びて、一段とお兄ちゃんぽくなった彼は、優しく始終うちの息子の話を忍耐強く聞いてくれたのだった。初めて出逢ったころはまだ5歳だった彼は、今年で14歳になり、時の流れの速さに驚くばかりである。

散歩の後は、家でゆっくりご飯を食べて、その後はいよいよ息子待望のUNOとモノポリ大会!!のはずだったのが、久々の再会に話は止まらず、ゲームの時間などあるわけがなかったことを彼はまだこの頃、知る由もなかった。

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